麗奈KYOTO

デリヘル(高級/京都駅周辺)

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投稿!!写メ日記
1件~30件(全30件)

桃ノ木 美亜
麗奈KYOTO
誘惑💕

最近、田中雅一の『誘惑する文化人類学―コンタクト・ゾーンの世界へ』という本を読みました。

みなさまは、どこまでが自分でどこからが自分でなくなるのかなと不思議になったことはありますか?
髪の毛は、抜けたらもう自分の一部じゃない。脱ぎ捨てた服も自分じゃない。食物は食べたら自分になる。仲のいい人と喋り方や癖が似てくる。

私は、「バウンダリー(境界線)を持つのは大事だ」という友人の話を聞いても、その境界線を通してすでに液体や空気が出入りしているような、自分と自分以外の区別などつけられるんだろうか、おでんの出汁と出汁の染みた卵が不可分なように?私自身と環境、他者は不可分なのではないかと思ってしまう部分があります。

田中氏は、ルソー『告白』などを挙げ、自己とそうでないものの分離を通じて自己を構築した結果、孤独に至るという「近代的個人」の袋小路について言及しています。

例えば、村上龍の小説『イン ザ・ミソスープ』の登場人物フランクは、高みに登って街を見下ろし、その場にいた白鳥を殺してその血を飲みます。そうすることで、「世界から切り離されているという感覚と、世界が自分の足元にあるという感覚が、ぼくの中で一つになる」[村上 1998、266]、つまり、高みから全体を眺める時の所有快楽と孤独という自己分裂を、他者の同化によって克服しようとします。

『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画のように、他者を自己に同化してしまえば、もう寂しいことも傷つくこともないのかもしれません。

田中氏が、そのような袋小路ー「地獄とは他人であるbyサルトル」の末の「他人を自己に同化すればもう何も怖くない」状態を抜け出す方策の一つとして提示するのが、「誘惑」です。

誘惑ってなんなんでしょうか?

“pervert”という英語は、動詞として「堕落させる」「誤らせる」「性的に倒錯させる」などの意味がある。つまり、「正常」を異常にするということである。[田中 2018:47-48]
”pervert” は、マイノリティがマジョリティを変える過程であり、そのような過程で働く「異化の力」である。誘惑とpervertを重ねて考えるなら、pervertは誘惑された者であり、誘惑者とは人をpervertする存在である。[田中 2018:48]

どうやら、「誘惑」という言葉は、本来あるべき状態(正常)から軌道を逸らしたり、慣れた世界を異質なものに変えてしまうような働きをもつと捉えられていると言えそうです。

田中は、「悪」といった観念による誘惑、モノによる誘惑もあると述べていますが、特に、人間同士の性的な誘惑に着目します。
そして、田中氏の誘惑論のおもしろいところは、「誘惑」という行為における「主客の逆転」「身体の重要性」に着目しているところです。

「誘惑とは、弱点を攻めるようにと他者に呼びかける挑発である」
ジャン・ボードリヤール[1985、110]

このボードリヤールの言葉に凝縮されているように、誘惑には、誘惑する側の能動性が究極的に求めているのは、誘惑される側の能動性であるという能動ー受動の反転があります。自分が受動する客体となるために能動的に行動するというねじれがあるのです。
田中は、このような「誘惑↔︎誘惑に乗る!」の相互行為が繰り返し行われることで主客の転換から「自他の相互転換」へ、最終的に「自他の融合」へと進むのであると述べます。

さらに、誘惑は極めて身体的な行為であるとも田中は述べます。誘惑は、言語によって論理的に誰かを説得するというようなものではなく、「誘惑者は、ときに眼差しで、ときに声で相手の身体を愛撫する。」[田中 2018、52]というように、そこに声を含む「身体」が介在することで、わたしたちはときに自分の意に反して、他者を誘惑し、また誘惑に身体を拓くといいます。

つまり、誘惑の発生する場において、「行為する側とされる側」「わたしとあなた」は、絶え間ない主客の転換や、身体のままならなさ・操作不可能さによって、どっちがどっちかわからなくなっていくといいます。

田中が誘惑に着目するのは、そのような「目と目で感じてコミュニケーションとってクラクラ(坂本慎太郎)」するような状態が、近代主義的な個人における自発的な規律訓練、身体の自律性・自立性を否定し、そこに新たな身体的存在としての人間と人間の共同性を見出せるのではないかと考えるからです。ですので、田中氏は、自己の構築に伴う「地獄とは他人である」状態を、誘惑における自他の相互転換や身体の偶有性に着目することで、身体という意識だけで統御することが困難なものを介した自他の繋がりを模索しようとしていると言えると思います。

しかし、、白鳥を殺しその血を飲むというような「他者の同化」も、誘惑も、結果だけ見れば、同じ「自他の融合」という状態になってしまっています。他者の同化は一方向で他者の能動性を消し、誘惑は双方が動き続け、不確定さが残るという違いはある。おでんを具がドロドロになるまで煮てしまうか、個々の形が残り出汁が浸透するくらいに煮るかという違い(またおでんの話になってしまいました💦)はあるかもしれませんが、どちらも融合しています。
確かに、自他の融合は気持ちいいに違いないが、それでいいんだろうか??
というように、私は迷路に入ってしまいました。ごめんなさい、、

田中はその後、ホッブズ『リヴァイアサン』のような、「社会・文化」成立以前の「自然状態」の世界を「各人の各人に対する戦争状態」と想定する「闘争モデル」に対して、「誘惑モデル」というモデルを対比してみせます。つまり、誘惑を社会構築のモデルとして、論じるのです。この章を検討すれば、このオチのない迷宮入り状態にも、ヒントを得られるかもしれません、、解決できたらご紹介したいなと思います。

みなさまの誘惑体験や誘惑への考えなどについても、ぜひ教えてくださいませ💖
 

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桃ノ木 美亜
麗奈KYOTO
旅行🚗

先日、恩師へのご挨拶のため、地元に帰省してきました。帰省ついでに、母と妹と一緒に旅行に行きました。

ずっとお天気が良くてうれしかったです。今年の夏は雨続きだったので、近頃は晴れているだけで気分が明るくなりますね。

地元に帰るといつも、行ったことない街や通ったことのない路地は一生かけても足りないほどあるはずなのに、どうして私はこの同じ街、同じ通りを歩いてるんだろうと不思議になります。単に、実家がそこにあるからなのですが。。
一方、旅行では、行く必然性もなく行かない可能性もあった場所に行き、そこでの日常に身を置くことができるということが、とても楽しいです。


納豆がまぶされている状態というのを初めて見て、おもしろかったです。

旅行先では、ご飯を食べたり映画を観たりしました。みなさまは旅行先で映画を観るのは、ありですか?それともなしですか?
私は旅行先でも観ます。「せっかく旅行なのにもったいないだろ!!」と言われそうですが、映画は、夜中にスマホの画面で観るのと、古い小さい映画館で観るのと、イオンの中とかにある大きい映画館で観るのでは別物であると思うので、旅先の映画館に行くのは好きです。


今回は、イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニのレトロスペクティブが上映されていたので、『愛と殺意』という作品を観ました。妻の素性調査を探偵に依頼する夫、ということでサスペンスかと思いきや、人間同士の出会えなさ、繋がれなさ、不毛な愛という感じに至り、観ていてあまり気持ちよくなかったですが、わかるなあとも勝手に思いました。
また、映画の本筋とは関係ないのですが、「全速力(フォルテッシモ)で車がぶつかる」という台詞が面白かったです。フォルテッシモ(fortissimo)は音楽用語にも使われており「極めて強く」を意味する強弱記号ですが、すごく強く演奏することを指示する記号が、車が全速力で追突していく時の表現に使われているのが、おもしろいなあと思いました。

みなさまは最近旅行はされていますか?ぜひおすすめの場所を教えていただきたいです。

 

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月城 真波
麗奈KYOTO
五感のリハビリ



こんにちは🌞


本日在籍の名古屋店にて出勤いたしますimg


終了時間早めておりまして、

15:00-18:30で追加の受付が可能ですimg





今日は「停滞」という状況について見つめ、

考えていきたいと思います✏️





長い人生、

「私は常に前に進み続けてるぜ!」

という訳ではなく


「あ、ちょっと停滞してるかも」

なんて思ってしまうことってありますよねimg






「希望の方向になかなか風が吹いてくれない」

「新しい刺激が入ってこない」

「ずっとモヤモヤが続いてしまっている」

という状況は


“失敗” とは違って劇的なダメージではないけれど

やはり地味に削られていくような

感覚があります。








何をもって “停滞” と思ってしまうんだろうと

考えてみると

《五感がざわつく体験》

が無いことかなぁって思うんです。






“鼻が利く”って言葉がありますよね。



においを感知するという意味とは別に、

わずかな兆候や手がかりから

物事を見つけ出すことや、

利益になりそうなこと・隠し事などを

すばやく察知する能力を言います。







理由はまだ分からないけどなんか気になる、

目に留まる。



そんな向こう側から放たれる「匂い」に

自分自身の触覚が動くのが

いわゆる“直感”ですよね。







日々、一見すると

余計とも思えるような行動もできず

ルーティンが多くの時間を占めるようになると


ここの “直感” という部分が

劣ってくるような感覚がありますimg





「鼻が利く」を取り戻すには

香りの強いもので刺激する

ショック療法みたいなことから、


微細な香りの違いを嗅ぎ分ける

トレーニングをつんでいく。






つまり行動に置き換えると

初めての場所 / 初めての体験で得られる

何それびっくり🫢のショック療法から


日々の生活でも新しい視点を得られる

トレーニングをしていかなきゃなと。







前にどこかの航空会社で、

行き先不明のチケットの

ガチャガチャがありましたよね✈️






あんな感じで、普段なら

自分では選ばない選択肢を

多少無理矢理にでも受け入れて

体験するのって良いですよねimg






最近お出かけは

母との温泉旅行ばかりでしたので♨️


そろそろ以前好んでやっていた

冒険一人旅のタイミングなのだと思います。






“いつもの”

“ルーティン的な日常”

が悪、不要なものという訳ではないです💡





ワインのテイスティングで

たくさん嗅ぎすぎて

匂いが分からなくなった時に


自分の肌の匂いを嗅いで

ニュートラルに戻すように🍷





新しい刺激を受けすぎて

自分の基軸が分からなくなった時には

すぐに戻れる “日常” の構築も

一方では大切なんだと思います。






来月一人旅決行できるかなimg

スケジュールと睨めっこしたいと思いますimg







それでは本日も

よろしくお願いいたしますimg





月城 真波

 

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