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るり
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『初秋の一日』

 どうも、ルリです。夏目漱石(1912年)『初秋の一日』を読んだ。本作は、二百二十日に漱石が老師へ久闊を叙す前後を描いた作品である。二百二十日(にひゃくはつか)は9月11日頃に訪れる雑節の1つで、立春から数えて220日目にあたる日を指す。台風の襲来が多いため「農家の三大厄日」の1つとされており、作中でも調子を変えながら雨が長く降り続いていた。

 さて、本作で印象深かったのは下記※1※2である。まず※1は、二百二十日に老師のもとへ出立する際の情景描写である。
 
 
 
  「汽車の窓から怪しい空を覗いていると降り出して来た。それが細かい糠雨なので、雨としてよりはむしろ草木を濡らす淋しい色として自分の眼に映った。三人はこの頃の天気を恐れてみんな護謨合羽を用意していた。けれどもそれがいざ役に立つとなるとけっして嬉しい顔はしなかった。彼らはその日の佗びしさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである。
 ……雨はいつの間にか強くなって、窓硝子に、砕けた露の球のようなものが見え始めた。自分は閑静な車輛のなかで、先年英国のエドワード帝を葬った時、五千人の卒倒者を出した事などを思い出したりした。」※1
 
 
 
 ※1は出だしの文章であるが、冒頭から淋しい色に映る糠雨に出立を見送られる様子には、そこはかとなく暗雲の気色を感じられる。また、老師へ会いに行けるというのに誰ひとり嬉しそうな顔をせず、何故か二日後の夜という見知らぬ未来に暗影が差すのを予感している。
 そのうえ雨は強くなり、漱石は1910年のエドワード7世崩御を回想する。本来喜ばしいはずの出立の場面が一挙手一投足、悉皆暗鬱であるという異様さについ身構えてしまう。
 その後老師と再会する場面では談笑の様子が描かれており、作中唯一温かな空気の流れと微光を感じられたが、それはほんの束の間であった。それから二百二十日の雨を受けながら帰った日の翌日と、翌々日の描写が下記※2である。
 
 
 
  「翌朝は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。三人が車を並べて停車場に着いた時、プラットフォームの上には雨合羽を着た五六の西洋人と日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊していた。
 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。」※2 
 
 
 
 二百二十日の翌朝は雨でも晴れでもない曇天で、停車場の人々は一様に無言を貫いている。どこか空気が停滞し張り詰めたような、嵐の前の静けさを感じられる。
 そしてその翌日、まさに漱石たちの「暗い夜の景色」という想像が暗合した二日後、明治天皇の大葬と乃木大将の殉死が重なった。冒頭から雨と雲と共にずっと垂れ込めていた暗鬱は、明治時代における二人の傑物の死を黙示していたのだろう。
 こうした時代の終焉は記憶に刻まれるものだが、その2日前からの天気や気色というものは通常そこまで記憶されない。にもかかわらず、漱石は克明にそれを記憶し詳細に書き綴っている。老師との再会という重要な予定があったからこそ、ここまで詳らかに回想できているのかとも思われる。
 
 巨星墜つる日までの暗示めいた3日間、漱石たちがどこまで明瞭にその日を予感したのかは謎である。しかしながら、複数人が無意識に突然共通の想像をしたり、天気までもがそれに共鳴したりした事実は、尋常ならざるも確かに起きたことである。
 もしかすると、重大な出来事の前には、人間のあずかり知らぬ何かしらの気配が漂うのかもしれない。その気配を繊細に感じ取り、真率かつ味わい深く著した漱石に深く感服した。なお読後、星新一の「たそがれ」が思い出された次第である。
 
 
 ほんじつも精一杯お癒やししますので、のんびりしていってください。よろしくお願いいたします。
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《参考文献》 
※1 夏目漱石(1912年)『初秋の一日』、青空文庫、1-2頁。
※2 同上、5頁。 
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